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4−25.冨士講のルート

 「富士を拝み、富士山霊に帰依し心願を唱え、報恩感謝する」というわかりやすい教えが広まり、富士講は瞬く間に江戸に広がっていきます。

 富士講は、江戸時代中期に「江戸八百八町に、八百八講あり、講中八萬人」といわれるほど隆盛し、伊勢詣り、金毘羅詣りとともに、「三大詣り」として江戸の町民に深く根付きました。
 江戸の町ごとに講が組織され、富士山に実際に登るための資金が集められたのです。
 富士山に登る人がくじで選ばれ、選ばれた者は代表者として富士山に登ることができたのですが、その資金は、町の人々のカンパに加え、裕福な商人などが大口の資金を提供し、さらに浄財などが加えられたものだといいます。
 羽黒山や大峰山などの各地の山岳信仰が修験者による修行の場であったのに比べ、富士講は一般民衆が伝統的信仰形態を取りながら山頂を目指したという特異な現象でした。
 
 さて、講社一行は、主に甲州街道を歩いて高尾に至り、高尾山で滝を浴び、ここから精進潔斎に入った。高尾山の頂上からは富士山が見える。
 高尾山には富士浅間社があり、富士山を遥拝する富士道の拠点でもあったのです。

 高尾山で精進潔斎し、富士山を遥拝した一行は尾根伝いに歩き、そして相模湖の弁天橋に至る。相模湖から大月を経由して富士吉田に入り「御師(おし)」の家で一泊し、北口本宮冨士浅間神社に参拝して富士山に登ったのでした。

 大きな「金鳥居」が神聖な富士山と俗界を分つように立つ上吉田、富士山に一直線に延びる表参道の界隈が、かつて「御師(おし)の町」と言われ賑わいを見せていたエリアです。
 御師とは、富士山を信仰の対象とし、富士山への登拝客の宿泊の賄い、また山小屋や強力の斡旋を職とした人のことです。
 彼らの実際の生活は、経営する宿坊での信者から宿泊料や山役銭(通行料)、おはらい料、お礼、お布施などの収入によって維持されていました。
 御師と信者は師弟関係にあり、一度縁を結ぶと、信者は他の御師の宿坊に泊まることはありません
 
 登山者の多くは金剛杖を頼りに、苦しい登山の中で、心から自然に湧き出る言葉として「六根清浄」の掛け声とともに一歩ずつ山頂を目指すのですが、一行は、富士に至るまで折々の禊場で身を浄め、登拝にあたりまず北口本宮冨士浅間神社に参拝、下山してからも富士講八海巡り(仙水、山中湖、明見湖、河口湖、西湖、精進湖、本栖湖、四尾連湖)などの修行を重ねました。

 基本的に来た道をそのまま帰るのが正式なルートなのですが、予算が潤沢な講社は、富士山の頂上まで登った後、8合目まで同じ道でおり、8合目から富士山の東側、須走におりたようです。
 登った道と異なる道を下りるのは「山を割る」と言って嫌われたが、8合目まで同じ道で下りれば山を割らないからです。

 富士山北口からのぼり、東口におりて下山祝いをした。帰路は、南足柄の最乗寺でお参りをし、さらに大山阿夫利神社に詣でた後、少し足をのばして江ノ島に出向き、品川を通って帰った。
 ただし、これは資金豊富な講社の豪華コースだという。


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