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高尾山観光ガイドreal estate

高尾近辺の隠れた名城

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小田野城跡

 陣馬街道川原宿(かわらじゅく)交差点から南(高尾方向)へ, 西寺方町を過ぎるあたり,左側に小高い丘陵がつらなります。ここ小田野トンネル上の丘には戦国時代の城郭「小田野城」があったことが知られています。
 
公園化のために遺構がどれなのかわかりづらいが、主郭と思われる平地はかなり広い。今は外堀跡の外溝と丘陵上の広場が残っているだけである。

 文献・史料はなく、伝説の城と思われていたが、昭和54〜55(1979〜80)年に都道建設に伴って発掘調査が行われ, 遺物として陶磁器類の破片・古銭・鉄砲の弾などが出土しました。

 その結果,城の下のトンネルは、もともと道路建設の際にこの丘を切り崩す予定だったものを、城跡の発見によってその保護のために急遽トンネル化し,昭和58(1983)年に八王子城の一部として国の史跡に指定されました。城と言っても、トンネルのある丘は、むしろ砦に近いものだったのでしょう。

 この城の築城年代・築城者などは現在資料が発見されておらず推定の域を出ないという、口伝によるところでは、八王子城主である北条氏照の家臣であった小田野源太左衛門の屋敷跡といわれている。案下道(現:陣馬街道)を眼下に見下ろすことのできる絶好の防御拠点であり、この地形を上手く利用して築かれた要害である。

 この城の存在期間は短く、天正十八(1590)年の小田原の役では上杉景勝軍に攻め滅ぼされたとも伝えられるが、未完成の城であったとの見方もある。一方で押し寄せた前田(利長)、松平、真田勢を相手に大激戦を交えたとの伝承もあるようです。(落城後も生き長らえた小田野源太左衛門は小田源左衛門と名を改め水戸徳川家に仕官している)小田野城を守備していた軍勢は全滅寸前まで戦い、寄せ手を長時間足止めした後に投降したのでしょう。

参考文献 「日本城郭大系」 新人物往来社 、現地案内板