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天狗の総合研究サイト、天狗参上

天狗の容姿

天狗の容姿

 鎌倉時代に山伏の姿を与えられた天狗は、南北朝時代に入ると怨霊が転じて天狗になるという話に変わっていきます。日本最強の怨霊としてその名を知らしめている崇徳院も、怨霊から天狗に転じた妖怪です。上田秋成の「雨月物語」にも、崇徳院が「天狗」の眷属三百を率いて西行法師に出会うという下りが書かれています。

 「太平記」によれば、南北朝の大動乱も崇徳天皇や後鳥羽天皇、後醍醐天皇などの不遇の天皇、あるいは玄隈、真済、慈恵、尊雲など不遇の高僧が大魔王となって起こしたものとされています。

 「太平記」には他にも、くちばしと羽を持ち、さまざまな神通力に通じた天狗が登場しており、このころにはカラス天狗の姿が一般化していたことが分かります。

 ところで、天狗は日本古来の山岳信仰と天台・真言密教にも関係があり,厳しい山での修行をきわめ,抜群の呪力・霊力を得た実在の人物が,山に対する神秘感と畏怖感から,里人によって天狗として祀りあげたものであれば、つまり修験道者が深山幽谷に籠って難行苦行を重ね,やがてお山の霊気と融合して超能力的な神通の力を体得してお山の大聖者となり,遂に天狗の名のもとに神として祀られたケースも多いようです。

 これまで述べてきたように、天狗が成立した背景には複数の流れがあるため、その種類や姿もさまざまです。
 一般的な姿は、先ほど述べたように修験者の様相で、その顔は赤く、鼻が高く、翼があり空中を飛翔するとされます。いわゆる「鼻高天狗(大天狗)」です。特に江戸時代に入ると、神田祭や山王祭の先導役として天狗が出てくるようになり、鼻高天狗の人気が一躍高まります。天狗の特徴である赤ら顔は、天孫降臨の時に先導を務めた猿田彦(サルタヒコ)のイメージが合わさったものだと言われています。 

 江戸時代に人気が出た修験者姿の鼻高天狗ではありますが、実はこの姿は室町(むろまち)時代(今から500年ほど前)の絵師(画家)によって描かれたのが最初と考えられています。

 この頃は、天狗の小道具も確立していきます。一般には羽団扇を持ち、一本歯の下駄を履いています。一本歯の下駄は山道に適しているということです。(高尾山の天狗は裸足(はだし)です)。
 
 通常、修験者は金剛杖も持っていますが、これは鉄の輪がついていて突いて歩くたびに音が出るクマ除けにもなります。また、山で使う刀、ホラ貝で作った笛を持ち、「ときん」という帽子、「すずかけ」という衣装、「ゆいけさ」という両肩から下げる房のついた帯などを身につけています。「笈(おい)」という箱を背負っています。これには仏像など大切なものを入れています。これらの小道具を天狗はみんな持っているのです。
 背中には翼(つばさ)がありますが、これは昔、トビなどの鳥の妖怪だった名残(なごり)です。中にはお坊さまの衣装を着た天狗もいます。

 ところで、天狗は、修験者が通常持っていないものを持っています。それは「羽団扇」です。天狗の羽で作られるとされ、団扇自体に強力な通力が備わり、火炎、人心、風雨、雷雨等何でも自由自在に操れるとされる。翼のない者が使用することで飛行術、縮地なども可能となる。民間で特に恐れられたのは天狗の起こすとされた炎とそれによって起こる火事であり、今でも天狗の祀られている神社などは火伏の神として、あるいは火伏の効能ありとしている神社が多いのです。
 ときどき天狗の羽団扇が棕櫚の葉や、八手の葉にすり替わっていることがあります。これは天狗を祀っていた神社の富士氏の家紋が棕櫚の葉で、しかもその棕櫚の葉紋が天狗の羽団扇にそっくりな形をしていたため混同されたものと見られているようです。なお天狗の羽で作った「羽団扇」の羽の数は奇数とされ9枚、11枚、13枚とされています。

 ここで、少々タイプの違った天狗がいます。鼻先が尖ったのは「烏天狗」あるいは「木の葉天狗」といいます。

 このように古いタイプの天狗には嘴(くちばし)が付いています。やはり修験者の格好をしているのが一般的ですが、こちらは青または緑色の顔をしています。鼻高天狗より鳥に近い顔をしていますので「烏天狗(からすてんぐ)または大天狗に対して「小天狗」とよばれています。「カラス」の名の通り、上から下まで真っ黒な身体をしていますが、その顔はどちらかと言えばトンビかオオワシのようであると言います古く天狗は鳶などの肉食性の鳥類の姿を持つことが多く、大魔王と称される崇徳上皇の姿は金色の翼を持つ鳶です。






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