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高尾通信は高尾山とその周辺を観光、自然、歴史、文学、伝説、グルメに至るまで徹底的に紹介する高尾山総合案内サイトです



高尾山観光ガイドreal estate

高尾山のみどころ

   高尾山頂の東側にあり、正式には高尾山薬王院有喜寺という。天平16年(744)に、聖武天皇の勅願により、行基が薬師如来を刻み、安置したのが開基とされている。永和年間に、京都醍醐寺の俊源大徳が飯綱大権現を祀り、修験道場として以来、時の武将達の帰依、保護を受け寺は栄えた。

 仁王門は三間一戸の八脚門で、間口が3.62メートル、奥行2.72メートル、一重、屋根寄棟造、銅板葺。江戸前期の建築とされる。運慶作仁王像(八尺)を安置してある。

 仁王門のすぐ正面にあるのが七間四面の薬王院本堂です。「高尾山」の額がすぐ眼に入ります。堂内の中央には護摩壇が設けられており、不動、座像不動(弘法大師作といわれている)が安置され、その各側には本尊の大日如来座像と左右に不動と愛染像が並んでいる。

 薬王院の見どころ・建造物
 薬王院の境内
 薬王院のご利益
 天然記念物
 薬王院のご本尊「飯縄大権現」
 高尾山のパワースポット
 高尾山夜景スポット


高尾山の天然記念物

高尾山杉並木

高尾山薬王院境内に接する参道に植えられたこのスギ並木は、参道下にある巨杉とともに、都内ではまれに見るもの。東京都指定天然記念物で、薬王院の杉15本、境内に接する参道に植えられているが、目通り幹囲5〜6m、大きいものは7m、高さ45mある。樹齢は約700年と言われるが、すでに老杉であるため、根もとに近いところが空洞化しているものもある。

 高尾山は、古来より時の権力者達に保護されてきた山だ。
滝山城主となり、その後、城を元八王子に移す北条氏康の次男氏照も熱心な高尾山の信者であり、高尾の山を保護しました。
寛永年間(1624〜44)には、薬師堂、大日堂、護摩堂、鐘楼堂、仁王門があいついで建立され、幕府は薬王院に対して、75石(山林)を朱印地として、代官を置いて管理し、植林も積極的に行いました。現在参道沿いに続く杉並木は、その頃のものです。

 明治になってからも、御料林(皇室所有の山林)となり、保護されてきたのですが、この杉並木も幾多の災難に巻き込まれている。

 第二次世界大戦中は、海軍の船材として参道の多くのスギの大木が切り出されました。また、戦後の物資が不足していた時代は、燃料(薪)や建築用の材木として様々な木が切り出されました。

 そして、その最大の危機は台風の直撃だった。昭和41年9月24日、台風24号と26号が相次いで日本を襲った。9月16日にグァム島の西海上で発生した台風第24号は、23日に南西諸島付近、24日には大隅海峡を通り、25日10時頃高知県安芸市付近に上陸した。その後衰えながら近畿地方北部、能登半島付近を進み、日本海で低気圧に吸収されて消滅した。この台風と秋雨前線の影響で西日本では大雨となり、宮崎県では期間降水量が300mmを超えた所もあった。

 26号は、25日には静岡県御前崎に上陸。富士山頂での最大瞬間風速はなんと91メートルを記録。静岡県と山梨県では大規模な土石流や河川の急激な増水により多数の死者が出た。中でも山梨県足和田村など富士山の山麓では被害が大きく、山梨県の死者・行方不明者は170名以上となった。関東地方や東北地方でも河川の氾濫や強風による家屋倒壊により多数の死傷者が出た。そして、高尾山でも多くの木々が倒れてしまったのです。二本の大杉は、仁王門を押しつぶし、折れ重なる倒木は道をふさいだ。しかし、復旧は、人々の力をもって不眠不休で成された。
 それが、今皆さんが見ることのできる生き残った推定樹齢七百年の都内最大の杉並木なのです。

高尾山の飯盛杉

 東京都指定天然記念物。

 樹齢約500年といわれる杉の巨木で、樹形が円錐形で飯盛りの形に似ていることからこの名前が付けられたようです。残念ながら伊勢湾台風で上の半分を無くしています。

 高尾山薬王院札所のちょうど下あたりになりますが、現在は通行止めでそこまで行けないのが残念です。

 高さ30m、太さ7.2m、樹齢約500年。伝説によると弘法大師が関東巡錫の際にここに杉の杓子立てたのが芽をだして成長したものといわれる。仏様の知恵で庶民の煩悩を焼き尽くしていただけるという。

高尾山の千歳ガシ

 市指定天然記念物。 高尾町の国有林41林班3小班内にある。
 太さは根回り5.1m、目通り4.5m、高さ19.5mのウラジロガシ。