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高尾山の文学・伝説・民話real estate

中山介山と高尾

 高尾山山上の浄心門をくぐり、108段の階段を上ってきた参拝者達は、その参道の両側に続く文学碑にはたと足を止め、しばし見入る。     

 これらの碑に刻まれたひとつひとつの句や言葉を落ち着いた気持ちで読んでみるとまた高尾の違った魅力に気がつくことでしょう。

 高尾山は、昔から多くの歌人や俳人が訪れてはその自然の美しさに心を打たれ数多くの作品を残している。

 これらの石碑は、北原白秋や水原秋桜子といった有名な文学者のほかに、薬王院にゆかりの者や、地元で知られた俳人・歌人、戦争での思いで、母や父を偲び詠ったものと様々ですが、いずれも心に訴えかけてくるものがあります。
 これらの碑に刻まれたひとつひとつの句や言葉を落ち着いた気持ちで読んでみるとまた高尾の違った魅力に気がつくことでしょう。     
 

中里介山の生涯

 長編「大菩薩峠」の作者、中里介山は、1885年(明治18)4月玉川上水の取水堰にほど近い多摩川畔の羽村の水車小屋で生まれたといわれています。本名は弥之助といい、もともとは中農としてそこそこの生活をしていた中里家も、介山の少年時代には土地を失って、故郷を追われることになります。

 小学校を出た介山は、電話交換手や代用教員をしながら家族を支えていましたが、苦学し教員になりました。介山は上京して教員を続けながら、キリスト教や社会主義運動に関心を寄せ、日露戦争のはじまった明治37年にすぐれた反戦詩を発表します。
 キリスト教から社会主義に進み、平民新聞に投稿。日露戦争後、介山は社会主義運動から離れ、1906年頃、都新聞社みとめられて入社します。

 ようやく暮らしの安定した介山は、都新聞の紙上に『氷の花』『高野の義人』などを次々と発表、これらの好評のなかで『大菩薩峠』を着想、大正2年(1913)9月都新聞に連載を開始します。この時介山は28歳でした。

 『大菩薩峠』が大成功し、介山は執筆に集中するために都新聞を退社、さらに、良い環境をもとめて、21年に高尾山麓に草庵をむすびます。
 琵琶滝に近い妙音谷をひどく気に入り、この妙音谷の千年樫のそばに草庵を結んだというここでの日々は、介山の生涯でもっとものびやかなものでした。
 大菩薩峠の執筆中に住んだこの草庵跡の碑が、自然研究路6号路の途中の高尾保養院裏側にあります。大きな千年樫(残念ながら昭和57年の台風で倒れてしまった)に下に草庵を結び、ここで大菩薩峠の「無名の巻」を執筆したといいます。

 「白骨の巻」や「小名路の巻」では薬王院や小仏峠の様子がでてきて、当時の高尾山の様子を伺い知ることができます。また高尾では「隣人学園」という児童のための教育機関をつくり介山の思い描くユートピアを実現しようと試みます。しかし、この夢のような日々も、高尾山のケーブルカー建設工事をきっかけに3年ほどで終わりを迎えます。

 高尾山を去った介山は、故郷に近い御岳や奥多摩の地にいくつかの草庵を結びます。そして奥多摩でも「隣人道場」と名付けた図書室や武道場を開放します。
 しかし、奥多摩移ってまもなく、またも介山は夢破られます。隣人道場の足下で、青梅鉄道(現在のJR青梅線)の延長工事がはじまったのです。 この工事のために道場下に崖崩れが生たことから、介山は抗議の意を込めて、空にむかって護身用ピストルを発砲します。そして、これをきっかけに奥多摩での理想郷づくりを捨て、故郷の羽村へ向かいはじめます。

 羽村では、ほぼ一町歩の畑を取得、これを「植民地」と呼び、ここに奥多摩の道場、草庵を移築し、直耕と塾教育を合一させ、吉田松陰の松下村塾にならった「西隣村塾」を開校する。昭和5年5月のことです。

 しかし、この塾教育構想は、わずか半年であえなく瓦解することになります。農業を主体とする自給自足的な塾教育実践は、すでに時代は要求していなかったのです。そして敗戦濃厚となった昭和19年4月、病没。享年59歳でした。

 介山の夢みた壮大なユートピア構想は、『大菩薩峠』という幻想の世界のなかでしか生き続けられなかったのでしょうか。



介山と大菩薩峠の足跡をたどる

 清滝駅の左手から、自然研究路6号路に沿って道を進んでいきます。
途中、左に琵琶滝を経て高尾山山頂 に至る登山道の入口がありますが、真っ直ぐ進んでいきます。

 程なく右手に高尾保養所が見えてきます。急坂 を登りつめると民家が1軒あります。まるでこの民家の庭に入り込むように進むと突き当たりに水場があります。ここから 「千年樫の下に庵を結んで満三ヶ年というもの、自分は可なり楽しい月日を 送った。」(千年樫の下で)
大正14年、青梅の奥の沢井(「大峠」の冒頭の舞台)に移りすむまで住んだのですが、昭和2年に営業を開始 した高尾山ケーブルの工事が、草庵の直ぐ背後で始まり、騒音に耐えられず移転したのでした。

 草庵での生活は、<高尾山における満三年間は、介山先生の生涯を通じて、 もっとも楽しい、自由な月日であった。>(松尾熊太「随筆『大菩薩峠』」)とい われています。
尚、草庵の前の山道を登れば高尾山参道の蛸杉の辺りに出ます。

琵琶滝
 「滝 を浴びること最初の中は、夏でも何だか気味のわるいような心持がしたが慣れてみる と寒中でも、滝を浴びることが苦にならないのみならず厳寒の時、はりつめた氷雪の 中からサラサラと走る白流を視ると、心が跳おどる ように思われ、厳冬の水に対して、 恋人のような懐かしさを覚えて、それを抱擁したくなる。」(「高尾の草庵」−「美 味」) と書いているように琵琶滝は、介山が度々打たれた滝です。ここ琵琶滝は修行の場であるため修行者以外は立ち入り禁止ですので、柵の手前から眺めることになります。

蛇滝
 高尾山参道(自然研究路1号路)の途中に  十一丁目茶屋があるが、この北側に蛇滝へ下る道があります。蛇滝は、 目をわるくした「大菩薩峠」の主人公机龍之助が滝に打たれて目を養うところとして出てきます。

 「さのみ大きな滝とは見えないが、懸崖けんがいを垂直に落ちて、見上ぐるばかりに真紅の色をした楓もみじ が生い重なって」
「高尾の本山から右に落つる水が 妙音の琵琶の滝となって、左へ落るのが蛇滝となるのであります。琵琶の滝には天人が常住琵琶を弾じ、蛇瀑の上には倶利迦羅の剣を抱いた青銅の蛇じやが外道降伏の相を表している。」

 蛇滝の霊験により、龍之助 の目がかすかに見えるようになるという「大菩薩峠」の主要な舞台ともいえます。
ここから下れば蛇滝を経て、駒木野の関を経て浅川に出ることができます。

薬王院奥の院
 「ある晩−−ちょうど、十六日の月が東から登って、満山ことごとく その月光を浴びた夜半のことであります。
 この奥の院近くに人の足音を聴きました 」
「奥の院から大見晴らし へ通る木の根の高い細道へ、その人は早くも隠れ去って影だに残してはいません。そ こにはおもに樺木科かばのきか の植物が多いから、あるところは、ほとんど月の光りをも 漏らさぬ密林です。」

高尾山頂
 「高尾の山の大見晴らしは、誇張することなくして関東一の大見晴らし ということが出来るでしょう。」
「東を望むと、高尾の本山の頂をかすめて、遠 く武蔵野の平野から相模野の平野であります。
 東に向かってやや右へ寄ると、武蔵野の平野から相模野がつづいて、相模川の岸から徐々として丹沢の山脈」「なおず っと右へ採って行けば甲州に連なる山また山で、その山々の上には富士の根が高くのぞいているのを、晴れたときは鮮やかに見ることが出来ます。」
「元へ返して丹沢の山つづきを見ると、その尽くるところに突兀とつこつとして高き山が大山の阿夫利山です。」「左の方にながめていくと、筑波と日光の山を見ることができます。」
 「西の涯に山があって、そこがすなわち秩父根であります。」「西へ向き返って見ると、高原の鼻の先にお内裏雛のお后にそっくりの衣紋正しい形をしたのが 小仏山」「小仏の背後に高いのが景信山で、小仏と景信の間に、遠くその額を現 しているのが大菩薩峠の嶺であります。転じて景信の背後には金刀羅山、大岳山、御岳山の山々が続きます」

 よほど、高尾山頂からの景色に感激したのか、介山は、大菩薩峠で、高尾山頂から見える山々の風景を非常に詳しく書いています

羽村市郷土博物館

 高尾山からは少々離れてしまいますので、高尾の帰りにちょっと寄るというわけにはいきませんが、介山に興味のある方は、是非、羽村市の羽村市郷土博物館に行って見られることをお勧めします。

 羽村郷土博物館は、入場無料で公開されており、中里介山に関する展示は非常に充実しています。敷地内には中里介山が建てた大菩薩峠記念館の門にしていたという赤門(廃館に際して自治体に寄贈された)もあり、当時の様子をうかがい知ることができます。
 中里介山コーナーには、入口に介山のブロンズの胸像が置かれ、著作に関する展示、思想家、教育者としての介山の姿も知ることができます。また、奥のモニターでは、中里介山に関する紹介ビデオが見られるようになっています。

   羽村市郷土博物館
       所在地     東京都羽村市羽741
       電話       042−558−2561
       開館時間    9:00 〜 16:30
       定期休館日  毎週月曜日、
                 年末年始は休みです(12月29日〜1月3日)




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