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高尾山にメタセコイア化石林

 高尾山の麓を流れる浅川に沿って堤防上を歩いていくと「メタセコイア」の説明板があります。中国原産で、生きている化石として有名な落葉性針葉樹です。和名はアケボノスギといいますが、一般的には属名であるメタセコイアのほうが使われているようです。
メタセコイアは、太古の植物として有名で、日本を始め北半球で化石が知られていましたが現存種はなく、このため絶滅種だと考えられていました。

メタセコイア ところが、1943年に中国の四川省で自生(アケボノスギ)が発見されたのです。アケボノスギは育ちが早く、きれいな円錐状になることから、今では広く世界各地で栽植されて、公園や広場などに植えられています。
メタセコイアの名は、本来は植物分類上の属の名ですが、現在、残存している本属の植物はただ一種なので、その現生種(アケボノスギ)もこの名で呼ぶことが多いようです。アケボノスギという和名のもつ意味は深く、現在の植物景観が形作られた、そのあけぼのとも言える時代にすでに存在していたという推察によるものです。メタセコイア

 八王子市役所の北、鶴巻橋から浅川左岸を上流へと向かい、南浅川との合流点を過ぎ、城山川との合流点を過ぎたあたりでは、露出した砂質泥岩が流れに削られて面白い景色をみせています。このあたりにはメタセコイアの切り株の化石が多数露出した場所があるのです。

 平成3年に、浅川の河川敷の補修工事が行われ、この貴重な化石林を一部壊さねばならないことになメタセコイア化石林り、地元の強い要望で説明板などが設置されたようです。メタセコイア化石林を見ようとすると、八王子市役所北の清川2号公園あたりから浅川河川敷に降りると、この一帯が露出の多い化石林です。

 近在の人たちは、この奇妙な古株の一部を切り出し燃料として使っていたようですが、これがメタセコイアの化石であることが確認されたのは、戦後20年経った昭和42年のことでした。
 清川町南の北浅川に中央自動車道の橋脚が立ち始めていたころ、当時多摩の地質に興味を持っていた高校教師が、黒高尾山のメタセコイアい円形に年輪が見える化石を見つけたといいます。
 
 専門家の調査が始まり、発掘が行われた結果、この範囲が170万年前から200万年前の林がそのまま残っていた立木化石「化石の林」であると認められたのです。
 立木化石というのは、切り株の状態の化石のことです。一見花火で焼けた痕のように見えます。
 20株程度見ることができ、直径1~2メートル程度あります。年輪も見ることができますが、これだけ多くの立木化石が観察できるのは日本では大変珍しいようです。ちなみに、この場所からは平成13年(2001)約230万年前のステゴドン科のゾウ化石(牙2本、歯6個)が発見されています。

 高尾山のメタセコイア ところでさきほど世界各地に植えられているとお話しましたが、実は高尾にも植えられているのです。
 高尾山では、ケーブルカー高尾山駅そばの霞台園地の斜面に植えられていますので是非、一度眺めて大昔の様子を想像してみてはいかがでしょうか。 何でも昭和天皇も愛でられたそうで、林野庁保存林には何度も行幸された記録が残っているそうです。
            
 ちなみに、この木につけられた標識の説明によれば「私の名の「メタ」はギリシャ語の「変形」、「セコイア」はインディアンの酋長「セクイアー」の名から来ています」とのこと。

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