高尾山の雑学・豆知識

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高尾山の麓にあった摺差発電所

 高尾山の麓、裏高尾バス停付近には八王子初の電灯事業として稼動した発電所があることを知る人は少ない。     

 わが国で初めて電灯の明かりがともったのは1878年(明治11)3月25日のことで,この日,東京虎の門の工部大学校で催された電信中央局開局祝宴会のために弧光灯が点灯されたという記録がある。当然、祝宴というからには、あくまでデモ的に点灯されたものであり、本格的な電灯は、その5年後の1883年(明治16)の東京電灯株式会社(後の東京電力)の設立による。
 東京市内に小規模な火力発電所を建設して1887年(明治20)に丸の内鹿鳴館に一般公共用として初めて白熱灯を点灯している。1889年(明治22)には名古屋電灯、神戸電灯、京都電灯、大阪電灯が相次いで設立しました。その後、全国には前橋、日光、桐生、八王子など大きな街でも電灯会社が設立されます。

 さて、ここ八王子については明治29年(1896)に当時の「八王子電灯(株)」が、ここ高尾山の摺差に水力発電所を建設し、市内に電力の供給を始めたのが、我が国の水力発電の先駈けと言われている。水源は小下沢の山中、浅川村上長房摺指、通称ショイダシと呼ばれる地点に堰を設けて水を塞ぎ止めた。中腹に水路を造り、途中矢倉沢の水を水路に取り入れ、トンネルや松板で作った筧(かけひ)で水を流して発電所まで送った。こうして、作った電気は八王子市内に送電された。
     
 しかし残念なことに翌明治30年に大火が発生し、大半の電力設備を焼失してしまったのです。このため、市内の横山町に今度は火力発電所を建設したことで、摺差の発電所は、開設1年にて、その役目を終わったのです。その後次第に電灯も普及していったものの汽缶破損等の事故の頻発に苦しみ,ついに経営困難となって1907年(明治40)に同社は東京電灯株式会社吸収されるとこになった。
 現在は、高尾山の麓、小下沢の山中にこの時発電の水路として使用された石垣の一部や隧道の一部が残っており、当時を偲ばせてくれます。

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