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高尾山と東京オリンピック

 高尾山に向かって甲州街道を車で走られた方の中には、調布と府中の市境付近に東京オリンピックのマラソンオリンピック記念プレートと競歩の折り返し点の記念表示を見たことがあるかと思います。
 では、自転車競技は東京のどこで開催されたのでしょうか。

 1964年(昭和39年)オリンピック東京大会で、八王子市は「自転車ロードレース」と「自転車トラック競技」の誘致に成功したのでした。
 トラック競技のためのメイン会場として「八王子市自転車競技場」は、「多摩御陵参道」沿い、「南浅川橋」の西側に建設されたのです。「八王子市自転車競技場」は仮設の施設として建設、オリンピック終了後は解体され、跡地には1968(昭和43)年に「都立陵南(りょうなん)公園」が開園しました。現在は野球場などが整備されているほか、「南浅川」沿いの桜並木と共に桜の名所としても知られています。

 競技は1周400メートルのトラック競技と国道20号線を使ってスクラッチレース、タイムトライアルなどが行われたのでした。

 ちなみにコースのほうは、陵南公園 -> 甲州街道(R20) -> 追分町交差点 -> 20号バイパス -> 東京環状(R16) -> 左入交差点 -> 滝山街道(R411) -> 丹木町3丁目交差点 -> 高月町登坂区間 -> 加住小学校西交差点 -> 滝山街道(R411) -> 戸吹交差点 -> 高尾街道 -> 高尾駅前交差点 -> 陵南公園前。

 1周25km弱のコースを8周する約195kmで争われました。コースは平坦基調ながら途中には程よいアップダウンがあり、どんな脚質の選手でも勝ちが陵南公園の春狙えそうなレイアウトです。

 なお、東京オリンピックでは、イタリアのマリオ・ツァニンが優勝。出場選手の中には、プロ転向前のエディ・メルクスも出場していました。
 メルクスは当時19歳の若さでしたが、1位と同タイムの12位に入っています。

 日本からは、大宮政志、山尾裕、赤松敏郎、辻昌憲の4選手が出場しています。日本人選手の最上位は大宮政志で、こちらもトップと同タイムの36位でした

 この競技会を成功に結びつけようと八王子市と市民が一体となって盛り上げボランティアによる通訳や選手村運営に力を発揮したのです。
 高尾街道は別名「オリンピック道路」と称されていますが、これはオリンピックの際、自転車のロードレースが行われたことに由来するのです。

  また、高尾駅近くにある東浅川町陵南会館広場(旧東浅川駅)にあるオリンピック記念碑は自転車競技会に協力した7849高尾山オリンピックのオブジェ名の氏名を記した名簿をタイムカプセルにして後世に伝えるため建設した記念碑です。

 尚、高尾街道が甲州街道に出る直前に高尾駅前にある鉄・コンクリートの「敷島橋」。
 これも、もとは大正時代に帝室林野局林業試験場ができたときに掛けられたという由緒ある木製の橋で、中央に橋桁を設けない特殊な技法で作られたそうです。

 東京オリンピック時に拡張工事がおこなわれ、木橋は残念ながら撤去されてしまったようです。
 もとはここには試験場に向かって桜の並木が続いていたといいますが、これも無くなってしまいました。 つい最近まで坂道の急カーブのところに1本だけけなげに残っていたのですが、いつのまにか伐採されて、今はわずかに残るコンクリートを詰めた囲いの跡のみです。

高尾駅近くのオリンピック記念オブジェ さて、左の写真の彫刻は、地域の方々がオリンピックを盛り上げるべく行った「花いっぱい運動」の一環として浅川中学校の生徒が制作した鉄製のモニュメントです。

 旧甲州街道と現在の甲州街道が合流する三角地帯にあります。
 鉄製だけに、白いペンキもはがれ、さびが目立ち、ややみすぼらしくも感じますが、確かにここでオリンピックが開かれ、そして熱い熱戦が繰り広げられた証拠であるかのように、しっかりとそこにたたずんでいます。

 ところで、2020年はいよいよ再度の東京オリンピックが開催されますね。そこで東京の魅力を発信し大会を盛り上げるため、東京都が20年の年明けから、お台場や高尾山などに五輪マークのモニュメントを設置するということです。
 富士山や東京タワーなどが背景となる「インスタ映え」が狙えそうなロケーション。都の担当者はSNSを使った世界への情報発信を狙っているようですね。

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