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滝山合戦は、北条氏照と武田勝頼で行われた滝山城における攻防戦 高尾通信



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高尾山豆知識

2−15.滝山合戦

 八王子市高月町の滝山城は永正18(1521)年に武蔵国守護代の大石定重が築いた山城です。天文15(1546)年に小田原北条氏の軍門に下り、大石定久の養子として北条氏康の次男、北条氏照滝山城を引き継ぎ居城としました。

 滝山合戦は、永禄12年(1569)10月1日、北条氏照と甲州の武田勝頼で行われた攻防戦。

 武田信玄は、この秋、北条氏を威嚇し続けていた。永禄11(1568)年、武田信玄の駿河討ち入りによって甲相駿三国同盟が破棄され、北条氏と武田氏が緊張状態に入っていたのだった。

 武田信玄は、何とか北条氏をもう一度同盟者に戻そうと、関東侵攻に踏み切った。信玄を総帥として拝島大師に陣を構え、滝山城攻めには勝頼があたることになった。

 永禄12年(1569)、武田信玄は2万の軍勢で碓井峠を越え、9月に北条氏邦の鉢形城を包囲。さらに、これを牽制しつつ滝山城を目指して南下しました。

 9月26日には武田別働隊の小山田信茂隊1000が小仏峠方面から侵攻、滝山城を守る氏照は2000を迎撃に向かわせますが、それを見越して武田勝頼が滝山城に猛攻をかけます。

 甲陽軍鑑によると氏照自ら旗を振って城兵を指揮したという。武田勝頼が北条方の侍大将「師岡山城」と一騎打ちで3度槍を交えたと伝えられている。上杉謙信の書状によれば、氏照は古甲州道沿いの城下「宿三口」へ兵を繰り出して戦ったことが記されている。
 武田勢は三の丸まで落とし、滝山城は危機に陥ります。武田勝頼と北条氏照が直接槍を合わせたという伝説が生まれるのは、この時のことでした。

 しかし信玄は、小田原城攻めを目前にして兵力の損傷を少しでも軽く抑えたいという気持ちから、あと一歩で陥落というところで、2日夜には包囲を解除し、全軍を反転させ杉山峠を越え、小田原城に向かったのだった。


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