TOP −> 高尾山の文学・伝説・民話 −> 修験道とは
高尾山薬王院への参道の中ほど、霊気満山と額がかかった山門そばの神変堂は、昭和44年に改築されたものです。
この堂内には山岳修験の祖である「神変大菩薩 役小角」が安置されています。
「続日本紀」における役行者
「日本現報善悪霊異記」における役行者
「修験道」と役行者
高尾山でも盛んであった修験道とは、我が日本民族独自の精神文化に体系づけた日本国独特の宗教であり、顕密両経の妙味を自在に消化し、自ら独自の教えを形成し、その心を産み出した教えであります(高尾山薬王院ホームページより)。
修験道は日本古来の神道の一つ山岳信仰であり、山に籠り修行することで「験」(しるし)が得られると信じられ、そのもの達を修験者とか山伏と呼んでいます。そして全国の霊山は多くが役行者の開山と称しているのです
古来より山には神仏や祖霊が宿ると信じられてきました。言い換えれば日本古来の山岳信仰をベースに、仏教や神祇信仰、陰陽道が習合して形成された宗教が修験道といえます。
その基本は、教理を探究するのではなく大自然の霊気の中で修行を積むことにより、人間の本能的欲望を断ち切り、即身即仏の境地に達しようとする実践実修の宗教」、つまり1本の樹木と化したように山にとけこみ、自然と一体化することで精神性が高められるのだという。
前述のように一般に役小角(役行者)が開祖とされていますが、実際には特定の開祖はおらず、中世から近世にかけて教団や教義が整っていったと考えられています。
このように修験道においては、山岳は曼荼羅であり、諸尊、諸菩薩が居住する聖地とされています。故に霊山の霊験を信じ、仏の懐の中で修行を重ねることによって超自然的な力を体得し、その法力によって衆生を済度する呪術宗教的活動を行う山伏(修験者)の宗教が修験道です。山岳修行によって霊力を身につける「山伏」です。彼らの活動は山に限らず、里における庶民の信仰とも深く関わったのです。
修験道では、主に「不動明王」「金剛蔵王権現」を本尊として祀ります。修験道は中世期、大峰山では吉野・熊野を拠点として修業かおこなわれ、熊野側では聖護院を本山とする本山派が、吉野側では大和を中心に当山派が形成されたとされます。しかし、明治5年、政府により修験道一宗としての活動が禁止されたことにより、本山派は天台宗に、当山派は真言宗に組み込まれるかたちとなりました。
明治政府による神仏分離令・修験道廃止令により、一時は歴史の隅に追いやられてしまう修験道だが、現在は、奈良県吉野山の金峰山修験本宗、京都市左京区の本山修験宗、京都市伏見区の真言宗醍醐派などを拠点に信仰が行われている。
日本人は昔から山を神聖な場所として崇め尊んできたので、山の頂上には祠(ほこら) があり麓や山中には神社を造りました。関東地方にも沢山の修験の山があります。
ご存知の通り高尾山には薬王院という真言宗のお寺があり、本堂の奥には鳥居を持つ神社建築である極彩色の権現堂があります。 飯縄大権現を本尊としており、「カラス天狗の姿をした神」で、長野県の飯縄山から勧請し本地仏は不動明王ということです。
参考文献>
銭谷武平『役行者伝記集成』東方出版
宮家準『修験道組織の研究』春秋社
宮家準『役行者と修験道の歴史』吉川弘文館