高尾山と牛頭天王伝説高尾通信

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牛頭天王伝説

 「八王子」という地名は、全国に分布しています。
 それは、牛頭天王(ごずてんのう)と8人の王子(八王子)をまつる信仰の広がりの中で、八王子神社や八王子権現社(ごんげんしゃ)が建立され、地域の信仰を集め始めるとともに、地名として定着していったからです。

 牛頭天王をまつる信仰は、もともとインドから中国を経て伝わってきたものですが、わが国では、疫病や農作物の害虫そのほか邪気を払い流し去る神として、古代より定着したようです。
 
 牛頭天王は、八王子と八万四千の眷属を率いて、一族皆殺しの罰を与える、殺戮する恐ろしい神です。牛頭天王という名は、新羅に牛頭山という山があり、熱病に効果のある栴檀(センダン)を産したところから、この山の名を冠した神と同一視されました。

 素盞烏尊(すさのおのみこと)は、新羅の曽尸茂利(ソシモリ)という地に居たとする所伝も『日本書紀』に記されていまして、「ソシモリ」は「ソシマリ」「ソモリ」ともいう韓国語で、牛頭または牛首を意味し、韓国には各地に牛頭山という名の山や牛頭の名の付や島がある由です。

 昔、天竺の北方に九相という国がありました。
 九相国の王、牛頭天王(こずてんのう)は、もうそろそろ嫁をとらねばと思っていると鳩がやってきて「竜宮城へ行きなさい」と教えてくれました。そこで、牛頭天王は竜宮城へ竜王の娘を娶るため、 一族を連れて旅に出ました。
 
高尾山の滝行  旅の途中、牛頭天王一行は 泊めてもらうところを探しているとこの辺りで一番のお金持ちの、巨旦将来(こたんしょうらい) の家がありました。そこで、巨旦の屋敷に 宿を請いました。 ところが貧欲な巨旦将来は、その頼みをむげに断ります。

 天王は、次に蘇民将来(そみんしょうらい)という者に宿を請います。貧しいながらも心優しい蘇民は快く応じ牛頭天王に粟のご飯をたいておもてなしをしました。

 次の日、出発する前に牛頭天王は泊めてもらったお礼に宝物の珠を蘇民にわたしました。この は、心の優しい人が持つとお金がたまるものでした。

 その後、牛頭天王は旅を続け、目的である竜王の娘を娶ります。 旅の戻り道、天王は再びこの地を通り、蘇民将来の家に立ち寄ってこう言いました。 「私は、これから疫病神となって荒れ狂うであろう。 しかし、そなたの親切には報いたい。そなたの子孫のみは、 親切にしてくれた御礼に助けるであろう。」

 そして、恨みを抱いている巨旦将来の屋敷へと向かいました。
 巨旦将来は相師の占いにより、牛頭天王の襲撃を察知していました。 千人の僧に大般若経を購読させ、牛頭天王が館に入って来れないよう 結界を張っていたのです。

  ところが、僧のひとりが眠気から、一字を読み間違えてしまいました。
 牛頭天王はその隙を見逃さず、館に侵入すると巨旦将来の一族を 皆殺しにしてしまったのです。
 そして、蘇民将来のもとに戻ってきて、こう言いました。 「あなたの子孫にこう伝えなさい。もし後世に疫病が流行ることあらば、 『私は蘇民将来の子孫である』と名乗って、茅の輪を腰に巻きなさい。 されば疫病から免れ得るであろう。」  
 代々蘇民の家の人たちは、このとき牛頭天王が言われたように「蘇民将来」と書いた木を身に着けていました。それがお守りとなったので幸せに暮らしたという言い伝えが残っています。

  その後、牛頭天王は疫病神として各地で怖れられ、 後世に言い伝えられるのです。 現在も各地で行われている茅の輪くぐりは、ここからきているのです。

  時は移り、貞観11年(869)のこと。 京の都に疫病が流行し多数の死者がでました。 これはきっと、牛頭天王の祟りだという噂が都に広まりました。
 そこで祗園の社に牛頭天王をまつり、疫病退散を祈願して鉾をたて、 祈願したのです。 これが現在の祇園祭の始まりとされています。  

 その後牛頭天王は、さまざまの神と集合した。八王子は人体とその病に対応するばかりか、方角神との対応があり、陰陽道の考えも加わっている。仏教との習合では、牛頭天王は薬高尾山の滝行師如来、婆利采は千手観音菩薩のそれぞれ本地垂迹であったとされた。
 
 八王子にも各菩薩がもっともらしく充てられた。
 更に、前述のように牛頭天王は素盞烏尊(すさのおのみこと)とも習合した。鎌倉期に書かれた『備後国風土記』や『釈日本紀』では、牛頭天王の名はなく「武答神」となった同様の話があり、さらに神は「我はスサノオの神である」と名のっている。

 また、八王子は、本来は、人体とその病に対応する八種類の疫病や災厄の象徴であったとも考えられる。
 しかし、一般に、神様は信仰されるにつれて「格」が上がって、おとなしくなるものだ。
 牛頭天王も、殺戮する神から、殺戮者=疫病をコントロールする神へ、更に、疫病を防ぐ神=薬師如来と同体の神へと昇格していくのです。こうやって中世には、その8人の子を眷属神(けんぞくしん)(主神に従属する神々)とし、あらゆる人間の吉凶を司る方位の神として全国に広がっていったといいます。


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