高尾山の観光ガイド

薬王院のご本尊「飯綱大権現」

高尾山と俊源大徳

 高尾山を語るときは、行基や弘法よりもこの俊源の名を一番にあげなくてはいけません。しかし、俊源は、京都醍醐の俊盛法師の弟子とされるだけで、その出身などは実はよくわかっていないのです。永和年間(1375~78)に、京都の醍醐山から俊源大徳が入山し、不動明王を祈念して、八千枚の護摩供秘法を厳修、それにより一山の守護神として飯縄権現を奉祀し、中興したと伝えられる。

 さて、その中興の祖といわれる俊源大徳が高尾山に入山し10万枚の護摩修行をした時のこと、修行の後の疲れから思わず寝入った時、夢の中に異様な姿をした阿修羅明王が現れ、自分の姿を彫刻し広く衆生を救えとの声があったという。そこで目が醒めた俊源は、夢で見た明王の姿を具象化しようと念願したがなかなか思うように果たせない。

 そんな時、一人の異奇な人がやって来て、自分が彫刻をしてあげようと言い、7日、人里離れた西の谷の奥へ篭った。やがて像は完成し、再び現れ俊源に像を手渡し消えたという。あまりに「威霊赫赫」とした正視に耐えぬ出来映えだったので、山頂の一角に祠を建て安置したという。それが今の奥之院である。俊源はこれを飯縄権現として高尾山の鎮守にしたという。

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高尾山と飯綱大権現

 長野市の北方にそびえる飯綱山は、古くから修験道の霊山として栄えてきました。

 飯縄権現は、平安時代、この長野県飯縄山上(現在の飯綱山)に奉られた飯縄権現を原点があり、ここから全国に飯縄信仰が定着していったと考えられています。
 飯縄山の名は、山にこもった行者が山頂の砂(飯砂・「天狗の麦飯」とも言われる)を食べながら修行していたという伝説から、飯砂山、転じて飯縄山と言われるようになったといいます。 

 さて、ここ高尾山ですが、永和元年(1375年)京都の高僧沙門俊源が入山し高尾山中の琵琶滝で苦行修行を行い、飯綱大権現の霊神を感得し、それまで荒れ果てていた寺院を復興、高尾山復活の道を開いたとされている。

 変幻自在の天狗・飯縄大明神は不動明王の化身ともされ、インドでは「アチャラナータ」と言い、シヴァ神の異名がそのまま仏教に取り入られ、不動ないし無動と訳されている。
 密教では、常住金剛とも呼ばれる。明王とは、如来の教えを守り、仏教に敵対する神々や人々を罰し、随順させる働きがある。

 また、明王の「明」は、真言を明呪すると言う意味を持ち、真言を唱え得ることの出来る、強力な威力を表している。
 五大明王の主尊として中央に座し、大日如来が憤怒した姿ともされ、一面二臂で、火焔光を背にし、悪鬼を打ち払う剣と、罪人を縛する索を持っている。また、矜羯羅・制多迦の二童子を始めとした、八大童子と呼ばれる眷族を従えています。

 飯縄権現は、天狗形で白狐に乗った姿で表される。飯縄権現の本地仏は地蔵菩薩とされ、密教とも結びつき呪術としての「飯縄法」が公家や武家の間にも広まった。
 戦国時代には武将達に受け入れられ、川中島の戦いで有名な越後の上杉謙信や甲斐の武田信玄、或いは相模、武蔵の後北条の武将達のなかに信仰が広まっていきました。
 八王子城主北条氏照も、武田軍との戦いの中で馬上より振り返り、高尾山に鎮座する飯縄大権現に武運を祈ったとも伝えられています。

 高尾山薬王院の御本尊であるこの飯縄大権現は、先ほども触れましたように不動明王を仮の姿として衆生を救済する徳を持った仏神といえますが、この姿を見ると驚くのは、不動明王のほかに、歓喜天、迦楼羅天、荼枳尼天、宇賀神(弁財天)の五相合体の姿をしています。

 向背に火焔を負い、左右の御手に剣と索とを持てるは「不動明王」の御本誓を現し、悪魔を退治し、慈悲の智慧を以て種々の煩悩病苦を焼き尽くすものです。
 不動明王は、密教の根本尊である大日如来の化身、或いはその内証(内心の決意)を現したものであると見なされています。
 お不動さんの名で親しまれ、大日大聖不動明王(だいにちだいしょうふどうみょうおう)、無動明王、無動尊、不動尊などとも呼ばれます。
 サンスクリットではAcalanatha(アチャラナータ;古代インドではシヴァ神の異名)と言いますが、「アチャラ」は「動かない」、「ナータ」は「守護者」を意味し、全体としては「不動の守護者」の意味です。

 衆生に富貴を授け疫病を除き夫婦和合の徳を施す心を持つ「歓喜天」の心を抱きて求る所の利益を施します。
 歓喜天は、象頭人身で、インドではガネーシャと呼ばれ、福神で御利益は大きいが、大変厳格な神なので、おろそかに祀るとかえって祟りをなすと言われています。 別名、大聖歓喜天(だいしょうかんぎてん)、大聖歓喜自在天(だいしょうかんぎじざいてん)、聖天(しょうてん)。

 鴟啄と羽翼ある鳥の姿は自在に空を舞い衆生救済を施す「迦楼羅天(カルラ天)」の飛行自在の徳を表します。蘗魯拏(がるだ)とも表記します。
 インドのガルーダが仏教に取り入れられ、仏法の守護神となったもので、別名、金翅鳥(こんじちょう)。

 四つは白狐に乗って先を見通す力を授ける「茶枳尼天(ダキニ天)」の福を授く。別名、辰狐王菩薩(しんこおうぼさつ)。 
 本来は人間の肝や心臓を食らう夜叉であったが、大黒天によって改心させられ、以後は死んだ人間の心臓のみを食らうようになり、福をもたらす神となった。人間の死を六ヶ月前に予測する事ができるが、命を奪うほどの力は無い。

 白蛇を頂くは五穀豊穣、商売繁盛、福寿円満を授ける「宇賀神」の宝珠を、弁財天の愛嬌を与え給います。宇賀神の名は日本神話に登場する宇迦之御魂神(うかのみたま)に由来するものと考えられ、元々は宇迦之御魂神と同様の穀霊神・福神として民間で信仰されていた神であった。宇賀弁才天ともいう。

 高尾山は寺院ですが、飯縄権現を祀り、修験たちの活動により、高尾山信仰は庶民にも広まっていくのでした。このため山上に行くと、飯縄権現堂(本社)と薬王院真喜寺(本堂)があるわけです。
 
 飯縄権現堂は華麗さにおいては山内一と言っても過言ではありません。拝殿、幣殿、本殿が一体となった権現造りで壁面に施されている見事な彩色彫刻は、規模では及ばないものの日光の東照宮に比べても見劣りしません。
 昭和27年に東京都の有形文化財に指定されています。

 本殿にはご本尊の飯縄大権現が安置されていますが、秘仏とされており開帳されていません。
 飯縄大権現堂正面両脇には大天狗、小天狗、さらに手前の山腹斜面には明治42年(1909)に建てられた三十六童子像が、それぞれ御本尊飯縄大権現の鎮座する聖域を形作っている。

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